はじめに

 岐阜県中津川市阿木大根木地区。大根木とは、古くは大嶺際(おおねぎわ)と記されていたらしく、嶺際とは、山の際、つまり阿木山に一番近い集落ということで、阿木川上流域ののどかな暮らしは、遥か昔から今に伝えられていることが伺い知れます。

 下流の恵那市街へと流れる阿木川の清流は、当寺の前より、いよいよ人里から山中へとさかのぼってゆくのですが、そこには古来より当寺奥の院として祀られていた風神神社がその山中にたたずみ、参詣の路傍には今も無数の石仏が残されていることから、多くの行者がこの道を往来していたことを感じることが出来ます。

 この阿木川上流の自然、そして空気を、史跡・信仰とともに感じてみると、数多のたましいは、この川をさかのぼって山へ、空へと向かっていくかのように感じられます。人里から山へ、自然へとたましいを送る嶺際(ねぎわ)に、長楽寺は佇んでいます。

 当寺の創建は、遥か平安の昔の弘仁年間(八一〇年〜八二四年)。数多の災禍をくぐりぬけて今、その規模はわずかの堂宇を残すのみとなってしまったものの、創建当時以来のご本尊十一面観世音菩薩さまの威光は、いまだ静かにその境内をやさしくつつんでおります。


 歴史、木立、木陰、堂宇、石垣、たたずまい、里の景観。境内にて感じる、静けさと力強さ。また、長楽寺にはその静かなご本尊さまをまるで対極に現したかのように、樹齢一一〇〇年といわれる大いちょうの巨木が、境内を四季の彩にて鮮やかにつつんでいます。

 静の本尊、動の巨樹


 この相対する二つの力が織り成す「境内」という空間の風合いを、ぜひ、ゆっくりと感じてみて下さい。



縁 起

今から遥か一二〇〇年も昔の平安時代の弘仁年間(八一〇年〜八二四年)。そもそも長楽寺の始まりは、二人の旅のお坊さんの訪問によります。

 
先に訪れたのは、高僧・行基(ぎょうき)。この地にて林業を営む者の山小屋に間借りした行基は、三昼夜にわたって、ひたすらに般若心経をお唱えしながら、1本の松の大木から十一面観音像を刻まれました。そして「この十一面観音像を信心し、供養を施す者には、長寿はもとより、心願成就、あらたかなる霊験にてご加護を賜るであろう。」という言葉を残し、また山中深くへと去って行きました。

 
それから幾年の歳月を経て、次に訪れたお坊さんは、三諦(さんたい)上人。仏法僧(ぶっぽうそう)と鳴く鳥を訪ねて、ここに辿り着いたとのこと。山小屋の主人と語るうちに先の十一面観音像ことを聞き、三諦上人は主人よりその尊像を託され、この地にて寺院を建立するよう、懇願されたのでした。

 
「新たに寺院を建立しよう。」と、この地に留まった三諦上人は、多くの村人や近隣の住民たちの協力を得たことにちなんで、山号を「大通山」と称し、この寺に詣でた多くの人々が心安らかに、長く楽しめるようにという願いから「長楽寺」と名付けられたと伝えられています。それから、当寺は祈願祈祷の寺として、また仏教の教えはもとより、農業技術などの学びの場として大いに栄え、堂塔伽藍十二坊を有するまでに繁栄したと伝えられます。

 その後、戦国時代になると、甲斐の武田家の軍勢が岩村城を中心としたこの地にて尾張の織田家と争い、その際に二度にもわたって火を放たれた当寺は、ついに創建以来の十一面観音像を残して、全てを焼失してしまいました。

しかし、残された僧侶、村人たちは再び本堂を再建し、今に至る長楽寺の礎を築かれ、そして、これからも私達から子へ孫へと守り伝えられていくことでしょう。

 尚、現在の本堂は昭和四十九年に、阿木出身の二宮三郎氏の一大寄進をきっかけに大根木組中、篤信諸氏の尽力によって、境内の諸堂と共に改築された本堂であります。



ご本尊 十一面観世音菩薩さまのいわれ

 「十一面観音さまをひたすらに信仰し、施しを行う人は、十の功徳(くどく:お力添え)をお授けいただける。」と言われます。


一、病気をしない。

二、諸仏に常に守られる。

三、財物食物に欠乏しない。

四、怨敵を打ち破る。


五、慈悲心を得られる。

六、一切の病魔に侵されない。

七、身に害を受けない。


八、水難を受けない。

九、火難を受けない。
  
十、事故・災難を受けない。


 このようなご利益を持つ仏さまであります。そして、当寺のご本尊様にも、こんな不思議なお話しが。

 天正二年(一五七四年)戦国時代。当寺が武田家の軍勢により火を掛けられた時のこと。その夜は大雨が降っていました。中島利八郎という人が、戦火の中、十一面観音像を守ろうと持ち出したのですが、武田方の若武者がこれを奪おうと襲来したので、利八郎は敵方にこの尊像を奪われてなるものかと大雨で増水している阿木川に投げ入れたのでした。

 
阿木川の水は、よほどの洪水であったのですが十一面観音はこの増水をものともせず、水を切って川上へさかのぼる・・・。敵兵の多くがこの様子を見て驚き恐れて逃げ帰って行き、そして軍師にこの事を報告すると、軍師も驚き恐れて軍を引き上げてしまったので、利八郎はようやく川上に行って十一面観音を拾い出したのでした。

 この時の戦禍で、長楽寺の建物のほとんどは焼失してしまったのですが、十一面観音像は、その中でも焼け残った梅本坊の法華堂(ほっけどう)に安置したのでした。武田家の大将、武田信玄はこの話を聞いて梅本防の境内を除地として十五歩一俵の知行を残しておいたと云われています。

 武田信玄が没した後も、その後継、武田勝頼が再び家臣の秋山晴近に命じてこの地を攻めさせ、白昼にまたも法華堂へと火をつけたのですが、その時、にわかに雷鳴と大雨が起こり、敵兵はそれに恐れおののき、退散してしまいました。そして当寺の僧、正栄が烈火の中に飛び込んで十一面観音像を持ち出したことによって、十一面観音像はまたも戦火を逃れることが出来、再び護摩堂(ごまどう)に祀られたのでした。

 今日、この十一面観音像は当寺の本尊、秘仏として本堂に祀られ、いかなる者の願いも、それが世のため、人のためにつながることであれば、必ずやかなえて頂ける。そして、心願成就のあかつきのお礼参りという信仰のもと、静かに当寺の本堂にて佇んでおられます。



巨樹 大いちょうにまつわるお話し

 長楽寺大銀杏の樹齢はおよそ一一〇〇年と言われています。古来より銀杏の葉は薬用に用いられ、種子はギンナンで、食用として愛されています。いちょうの木には雄木と雌木がありますが、その中で長楽寺の大いちょうは雄木であり、ギンナンの実を付けることはありません。

 この長楽寺の大いちょうの木の特徴は、地上約三メートルところで幹が四本に分かれ、太い所では周囲が四メートルもあります。また、木の高さは三〇メートルを超えており、いちばん太い部分の幹は九メートルもあり、昭和四二年に岐阜県の天然記念物に指定されました。

 この大いちょうの木には二つの大きな焦げ跡があります。まず、一つ目は今から約四五〇年前のことで、甲斐の武田軍が岩村城より敗走する際に当寺を焼き討ったため、その時の大火にて付けられた焦げ跡。そして、もう一つは今から約二五〇年前のことになります。当寺前を流れる阿木川に架けられていた橋が流失してしまった時のことで、新たな橋の橋桁用材としてこの木を使用するため、地上三メートルの所から先を切り倒し、その切口を保護するために炭火を焚いて焦がしたと、言い伝えられています。

 このように、幾多の災禍や風雪に耐え、地域の歴史を静かに見つめてきた大いちょうの木は、恋人同士、夫婦共に手をつないでいちょうの木に触れることで、良縁成就、夫婦円満、子宝授与にご利益があると信仰されております。

 こうして、遥か昔からこの場所で、この土地の歴史、人々を見守り続けていてくださる大いちょうは、地域の大切な文化財として後世に伝えるため、地域の住民の方々が主体となって、保護・育成を行っています。



石像 白山弁財天(べんざいてん)さまのこと


 長楽寺境内、白山弁財天堂にお祀りされているのが白山弁財天さまであります。そもそも弁財天さまとは、古代インドの神話に登場する、サラスヴァティという河・水にまつわる神様が、仏教と共に日本に伝わり、弁財天という名前に変わって、財宝・音楽・学芸・戦勝の神様として各地で信仰されております。

 
当寺の弁財天さまは、元々、旧陸軍中将・第五十五代文部大臣(昭和十九年)二宮治重氏の後嗣、二宮三郎氏より当寺に寄進された、石像であります。

 二宮家に伝わる由来として、平安時代後期、二宮家の祖先が源義家(八幡太郎義家)の家臣として奥州征伐に赴き、その帰路、白山神社(石川県)参拝にて立寄った際に授かった石像と伝えられています。それ以来代々二宮家に守護神として祀られ、二宮家の繁栄のご利益をお与えになられていたとのことでした。その後、当寺昭和の改修に尽力いただいた二宮三郎氏が、そのご利益を二宮家のみのものとしてではなく、より多くの方々のためにと当寺にご寄進されたのであります。

 この弁財天さまは、一心に心願を願うものには、ある時は言葉、またある時は目に見え、夢に見、またある時は何らかのカタチにてそのご加護を示され、必要な物をお与えいただけるとのことですので、ぜひ、当寺ご参拝の折には、本堂・本尊と共に、弁財天堂もお参りいただき、財招招福のご利益をお賜り下さい。



寺宝目録

・本堂
  十一面観世音菩薩像(本尊・秘仏・中津川市指定文化財)
  三十三観世音菩薩像
  金銅聖観音菩薩像・薬師如来像・七福神像など多数

・祖霊堂

  弘法大師像
  歴代山主位牌

・弁財天堂

  石造 白山弁財天像

・六社権現堂  ・龍王社  ・再建稲荷明神社

・大いちょう(岐阜県指定天然記念物)    など

お参りのおすすめ

当寺、しいては全国の社寺へお参りされる時の参考として、ご覧下さい。

@

階段を上り、山門の前で
本堂に向かって合掌、一礼。
A
手水舎に水があれば手を洗い、口を濯ぐ。
(普段は止水しています)


B

本堂の前にて、まずは合掌、一礼

C

ろうそくを灯し、線香に点香して、
それぞれお供えする。
D

静かな気持ちでおさいせんを投じます。

E

鰐口を撞(つ)き、御本尊に向かい静かに合掌して
日々の感謝とともに、心願を祈る。
(読経、ご真言をお唱え。)
F

参拝の記念、心願の証に
お守り等をお求め下さい。

G

一礼にて本堂を後にし、右方の再建稲荷さま、
六社権現さまの前にて、二礼、二拍手、一礼。
※この後、移動中、各堂の前を通過する時には
失礼しますのお気持ちを忘れずに。
H

次に左方の弁財天堂の前、祖霊堂にて、本堂同様に、
静かに合掌して日々の感謝とともに、心願を祈る。
※以上の後に、各堂、大いちょうなどを御見学、
境内のベンチなどで、御自身なりのひと時をお過
ごし下さい。

お守り授与

一、身代りお守り  一体  五百円也

一、祈願お守り   一体  一千円也

 願意 身体健全・子宝成就・必勝祈願・心願成就・厄除祈願 など

一、特別祈願札   一体  三千円からのお志にて

 願意 右記に加えて、家内安全・事業安全・商売繁盛・豊作祈願など

一、精霊供養    御供養料は志納にて

        (お気持ちに応じて下さい)
その他

一、宝来飾紙    一枚   一千円也       など


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